旅行企画ラインナップ
西谷正氏とめぐる 「百済文化を訪ねて」
朝鮮半島に高句麗・新羅・百済が鼎立した三国時代。
日本と特にゆかりが深い百済の古都を訪ねます。
多くの国宝や史跡に百済人の精神文化を感じる旅です。
【旅のポイント】
●熊津(現・公州)と泗沘(現・扶余)。百済の2つの都へ
漢城(現・ソウル)に始まり、三国時代の戦いの中で南下して都を移していった百済。2つの都を訪ねます。奈良飛鳥地方に似ていると言われる風景や、九州に多く残る古代山城跡とそっくりな百済時代の山城跡など、私たちとの深いゆかりを感じます。
●煌びやかな「武寧王陵」で絶頂期の栄華を
百済第25代・武寧王と王妃が合葬された王陵が完全な形で発見され、金銀の装飾品・青銅神獣鏡・石製鎮墓獣・環頭大刀ほか2906点が出土。うち12点が国宝です。王と王妃の名前が記された石製の「買地券」はあまりに有名。一帯の王家の古墳群「宋山里古墳群」も散策できます。
●「百済金銅大香炉」「半跏思惟像」からは百済人の世界観を
百済金属工芸の真髄を示す金銅大香炉は、仏教思想や道教思想などが凝縮されている。半跏思惟像の前に立てば、広隆寺のそれを思いだし、そっくりな姿に古代の繋がりを思わずにおれません。
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西谷正(にしたに・ただし)氏のご紹介
(九州歴史資料館長・伊都国歴史博物館名誉館長・九州大学名誉教授)
東アジア全域の考古学専門家である先生と現地を歩く時間は、考古学そして歴史ファンにとって至福の時。韓国の発掘にも数多く立会っておられ、西谷氏ならではの現場解説は専門的かつユーモア一杯。温かいお人柄が滲み出るナビゲートに親しみと尊敬を抱くファンは多い。
西谷正氏とめぐる 「江原道の歴史遺産を訪ねて」

支石墓群や高句麗遺跡の石室墳、
秘境の絶景に抱かれた名刹や王朝建造物、
九州とのゆかりも感じ奥深い文化に感動する旅です。
「江原道へ」
———- 西谷正
江原道と言えば「冬のソナタ」のロケ地として知られています。
ドラマの映像で美しい自然に感動された方も多いでしょう。
秘境ともいえる自然が残る風光明媚な江原道では、
その豊かな自然に抱かれるように韓国屈指の名刹の法灯が随所に守られています。
今回は月精寺や洛山寺などを訪れます。
また、鳥竹軒や船橋荘のたたずまいは朝鮮王朝時代にタイムスリップさせてくれます。
歴史遺産の宝庫として知られる江原道には、
新石器時代の集落や青銅器時代の支石墓や高句麗時代の古墳などの重要遺跡も豊富です。
近年の高速道路の建設工事などに伴う発掘調査での出土品が
国立春川博物館や大学博物館に展示されており、この見学も楽しみなポイントです。
九州の原始・古代文化とのつながりを発見し、高句麗、江原道に親しみがわくことと思います。
古代九州の大豪族 磐井を訪ねて
邪馬台国が滅び、大和政権が誕生したころ、
筑紫の豪族たちは大陸と交流を持ちながら、海を越え、生き生きと闊歩していました。
しかし5世紀から6世紀にかけて、外交権と軍事権を独占しようとする大和政権に、
筑紫の豪族たちは「人」「物」の負担を強いられ続けました。
527年、筑紫の大豪族磐井は、
不満を募らせていた豊の国・肥の国の豪族たちも巻き込み「磐井の乱」をおこします。
磐井は、石人石馬で表飾した巨大な岩戸山古墳を残しました。
八女地方には他にも、磐井一族の古墳が累々と続きます。
巨大石室、石棺、石人石馬などのこの地方で花開いた独特の石文化、
朝鮮半島や中国との交流を物語るきらびやかな出土品を観ながら、
先人がダイナミックに生きた時間を感じる一日を過ごします。
職人を訪ねるスローな旅
福岡県八女地方は、南を熊本県、東を大分県と接し、
古くから交通や交易の要所として多くの歴史を重ねてきました。
豪商たちが街道筋に並んだ町並みは、今もその頃の姿を残し、
「八女福島の伝統的町並保存群」として全国的に有名です。
財も資源も豊かだったここでは、様々な伝統工芸が栄え、
職人たちが腕を競っていました。
普段の私たちの生活からそれらの工芸品が姿を消すとともにかつての活気はうせたものの、
今も一流の職人たちが、生業として日々、こつこつと黙々とものづくりを続けて暮らしています。
大正時代の建物で藍甕がぷくぷくと発酵を続ける藍染工房、
川のほとりの水車小屋で線香をつくる線香工房、
楮(こうぞ)や三椏(みつまた)から一枚ずつ湯気をあげてふわーっと紙になる手すき和紙工房、
杜氏たちが生きもの対生きものとして麹にむきあう酒蔵。
職人さんの仕事ぶりを拝見しながら、ものづくりの原点を巡ります。
宿泊は、星の観察で有名な星野村。
天体望遠鏡を覗くと昼間でも星が見えるのは驚きです。
温泉につかり、手が届きそうな満天の星に包まれる。福岡からわずか1時間半なのに。
スローな旅にお出かけ下さい。
秀吉の朝鮮出兵が残した足跡~唐津・伊万里・有田へ~
中世から近世へ。アジアの転換期をダイナミックに感じる旅です。
豊臣秀吉が朝鮮出兵へ向けて海を眺めた丘に立ち、各大名の陣屋をめぐります。
展示について評判が高い名護屋城博物館も見学します。
日本の歴史が中世から近世へ大きく動いた戦国末期、
天正16年初旬から同19年にかけて、現在の福岡市の東のはずれに名島城が築かれました。
この城は、豊臣秀吉の九州征伐の後に小早川隆景によって築かれた九州初の近世的スタイルの城郭で、
九州における近世社会の幕開けを告げるものでした。
秀吉は九州征伐に続き朝鮮出兵をにらんでおり、
戦で荒廃した博多を兵站基地として復興、この名島城から唐津の名護屋城を経て朝鮮半島へと進んでゆきます。
秀吉が半島へ出て行くまでの城郭建築の解説、
半島から連れ帰った朝鮮人陶工がもたらした焼き物文化の解説を楽しみながら、
唐津、伊万里、有田をめぐります。
西谷正氏とめぐる旅「魏志倭人伝の道」シリーズ
「魏志倭人伝」を西谷先生に解説していただきながら、各地をめぐります。
魏の使者がたどった道を、九州を出発点に5回シリーズで北上し、最後は洛陽まで旅します。
「魏志倭人伝の道」シリーズ 全5回について
映画「まぼろしの邪馬台国」をご覧になった方も多いことでしょう。
邪馬台国。卑弥呼。この言葉は私たちの心をとらえて離しません。
3世紀の末に中国・西晋の陳寿によって書かれた『三国志』の中の「魏書」東夷伝・倭人の条。私たちが教科書でも習った「魏志倭人伝」のことです。
対馬国・一支国・末盧国・伊都国・奴国・不弥国・投馬国・・・・ そして邪馬台国と、たくさんの国が出てきます。時は弥生時代、日本はまだ統一国家の体をなしておらず、当時の事が記録として残るのは「魏志倭人伝」のみ。そこに記された国々の様子や生き生きとした暮らしは、私たちが住むまさにここで先人が繰り広げたもので、その跡を伺える遺跡や出土品も数多く遺産として残っています。現地に立ち、遺跡や宝物を観ると、当時の風を感じる気がします。
3回目は韓国へ渡り、帯方郡(現・ソウル)を出発して南下、4回目は辰韓(現・慶州)を巡ります。
最終回の5回目は魏の国へ渡り、中国・洛陽(予定)を出発して帯方郡(現・ソウル)まで。
「魏志倭人伝」を西谷先生に解説していただきながら、各地をめぐります。
魏の使者がたどった道を、九州を出発点に5回シリーズで北上し、最後は洛陽まで旅する計画です。
西谷正氏のご紹介
九州歴史資料館館長・伊都国歴史博物館名誉館長・九州大学名誉教授。
東アジア全域の考古学専門家である先生のお話にひたる時間は、考古学そして歴史ファンにとって至福の時。
昔の発掘秘話から最新の学術調査まで、その温かいお人柄が滲み出る解説に親しみと尊敬を抱くファンは多い。
最終回(第5回) 「魏・洛陽から帯方郡へ」
大好評のシリーズ、いよいよ最終回。
魏志倭人伝の出発地点から帯方郡(韓国・ソウル)までをたどります。
第4回 「辰韓・新羅の世界」
コースは右のちらしの下欄でご覧いただけます(クリックで拡大します)
第3回 「帯方郡から狗邪韓国へ」
右のパンフレットをクリックすると拡大します。
【見どころ紹介】
■風納土城 【ソウル・1日目】
帯方郡の郡治址推定地で「倭人伝」によれば「倭」への里程の起点。
■高敞支石墓群 【高敞(コチャン)・2日目】
韓国最大の支石墓密集地で422基がある。北方式と南方式が混在している。世界遺産。
■郡谷里(クンゴンニ)遺跡 【海南郡・3日目】
壱岐・原の辻に通じる卜骨や貨泉などが出土した西海岸の貝塚。
■勒島(ヌグド)遺跡 【三千浦・3日目】
島全体が遺跡ともいわれ、弥生土器や刀子(とうす)が出土。鉄や米を求めて海峡を渡る倭人たちの中継地だったか。
■良洞里墳墓群 【金海・4日目】
「倭人伝」の中で、唯一名前が記された「韓」の国・狗邪韓国の拠点集落の墓地とみられ、楽浪郡を経由した後漢鏡などの副葬品や倭との交流を示す九州産の銅矛などの副葬品が出土した。
第2回 「対馬国から一支国・末盧国・伊都国へ」
詳しくは右のちらしをご覧下さい (クリックで拡大します)
第1回 「九州に邪馬台国を探る」
詳しくは右のちらしをご覧下さい (クリックで拡大します)














